刺青を入れたいと思った人がどれほどいるのかはわかりませんが、一度でも入れたいと思った人の中にはそのハードルの高さや未知の世界に対して踏みとどまった人は多くいると思います。
それで正解です。悩むなら絶対入れない方がいい。
しかし、ハードルの高さゆえ、それを超えて入れると決意した人の意志を覆すことは容易ではないので、今回は刺青をすると決意した人が考えるべきポイントをまとめました。
断っておきますがプライベートで相談されても刺青は一切勧めてないので、今回のエントリーは決して刺青を斡旋しているわけではありません。ファーストタトゥーを入れると決意した人が実行するにあたって深慮するべきポイントをエントリーします。
一生付き合える彫り師を真剣に探す
箇所にもよりますが痛みを何時間も我慢し続けその身に刻み付ける刺青は、言わずもがな一生もの。
その刺青を入れてくれる彫り師さんを真剣に探してください。近さや安さなどで絶対に安易に決めないこと。
彫り師さんによって得意とする絵や文字、色は全く異なります。デザインの持ち込みや誰かのマネならなら別ですが、オリジナルの場合はデザインを彫り師さんと決めていくので、少なからず彫り師さんの感性が絵に表現されます。
一生その身体と共にある絵に対し少しでも妥協したり、納得できなければ入れたことを後悔します。さらにこのデリケートゾーンとちゃんと向き合おうとしない彫り師さんはやめておいた方がいい。
必ず打ち合わせをして人格や考え方をうかがう時間を持ってください。
TA2OWの場合
刺青に対して全く知識のなかった僕はネットで彫り師さんを散々探した挙句、当時は兵庫県に住んでましたが東京の「彫猿」さんという方に決め、友達の家に泊まりながらタトゥースタジオに通いました。
ちなみに決め手は大阪芸大出身ならではの「デッサン力」。立体・平面どちらの絵も優れたデザイン力で特定のジャンルに偏ってない点に惚れました。
僕は5年間デザインに悩み、あることがきっかけでイメージが決定し予約。2ヶ月待って東京へ。その間はFAXや電話で若干のやり取り。
初日はタトゥースタジオでデザインだけの打ち合わせ。ファーストタトゥーということで、色々質問させてもらったり工程を説明してくれたりと、安心できる空間だったことを今でも覚えています。
時間も夜だったので渋谷のゴールドラッシュで夕食を共にさせていただき、彫り師としての話をより深い次元で聞くことができました。
終始穏やかな方で、僕の意志や考えをくみ取ってくれてデザインが完成。100%納得できる仕上がりでした。きっと技術やデザインだけで心底納得できることなんてないと思います。そこには彫猿さんの人格が備わってこそのタトゥーなのだと感じました。
僕はファーストタトゥーは背中に入れたのですが、彫猿さんに言われたことは「背中は最後のキャンパスである」ということ。
刺青を入れる人のほとんどは「目で確認できる位置」に彫ることが多いそうで、背中は一番最後までとっておくのだそう。こういった話を人生観やプロ意識を通して聞けるのも打ち合わせの醍醐味。
きっと誰よりも「一生共にする刺青の意味」と向き合ってるのは"刻まれる人"よりも"刻む人"なのだと感じます。
このように一生ものの刺青は、彫り師さんとの信頼関係こそ一番必要だと考えます。僕はこの信頼関係の上で刺青がアートに変貌を遂げること、意志とは別に大切にしようとする意識が芽生えるのだと確信しています。
後悔はなくても災いはある
AとB、どちらの道を選ぶかという迷いの分岐点に立った場合、多くの人は「後悔しない方」という理由でどちらかを選択すると思います。
しかしどちらの道を選んでも、その過程の中で予期せぬ出来事が影響して、違う角度からの後悔は発生するもの。もちろん事前予測などできず、その道を選んで経験値を積んだ上での後悔や反省なので成長と捉えることもできます。
ところが刺青の場合はそういった類の後悔ではありません。自分の身体を飾るアートゆえ、精神論であらゆる角度から後悔を抑え込むことができます。
ただこの人間社会で生き抜く限り、刺青を良しとせぬ人や世代がいるがため、その誇りとも言えるアートに対し罵詈雑言を浴びせられることもあります。例えば会社を辞めさせられたり、婚約破棄になったりすることも。どれだけ意志深く、誇り高く入れた刺青でも、人の目にかかればチープにも非社会的にも写ります。
かといって罵詈雑言を浴びせる人も、刺青を入れた人も、どちらが正しくてどちらが悪いっていう"正悪論"ではないので責めるべき対象でもありません。
刺青を認める人が器が大きいとか否定する人が小さいとか、そんな理論でもありません。
もう一度社会的制約を覚悟する
プールやスーパー銭湯などの公共施設は当然のことながら、時にビーチ(須磨/兵庫)や温泉なども反社会勢力かのごとく立ち入り禁止となります。
プールに関しては近年ラッシュガードが定着し、上半身なら隠せるので入れるとしても(公には禁止)社会は刺青を認めていません。独り身なら特に困ることもありませんが、結婚するとなると話は別。制約がかかって家族での行動範囲がある程度狭くなるのは事実です。
公共施設のカウンターなどで噛み付いている若い子を見かけることや、刺青を認めない社会に対して不平不満を言う人もいますが、これは自己中心的な行動の極みでしょう。
海外を例にあげる人もいますが、ならば英語を覚えて海外で就職し永住すればいい。その方がずっと充実・成長すると思います。
この日本から出て行かずして刺青と共存するなら日本のルールや規制、常識にそって生活をし、偏見を覚悟するべきです。個人の自由や個性を最大限主張するためにはその国のルールや常識を学びよく理解し、反発ではなく変革として、その中で思い切り叫ぶべきです。
究極の自己満であることを自覚する
類は友を呼ぶように、刺青を入れた人にはそのコミュニティが不思議と出来上がり、あたかも刺青が市民権を得たような錯覚さえ起こします。
また刺青はカッコいいと思ってるけど入れてない人がほとんど。なので熱い視線や言葉を浴びることがあり、それが社会の目線をふさぎ井の中の蛙状態になることがあります。
なぜ刺青を入れたかの大義は人それぞれですが、他者を意識したものであれば必ず後悔する日が来るでしょう。自分の世界観の、自分の哲学内で美学を突き詰めた結果の刺青なら誇りになり得るのではないでしょうか。
今回のマジで。
どんなことでも一度決めたことで受ける弊害は素直に受け入れ、その都度起動修正して生きやすく動くことが本当の自由だと理解している僕は、どんな社会的制約があろうとこの身体を楽しんでいます。
古代の人が石灰を溶かし身体に模様を描いたように、ファッションの一部として取り上げられがちな刺青ですが、石灰と違い容易に落とせない上、黄色人種の日本人には発色がキツすぎるため、社会的な緩和には期待も展望もしていません。きっとこの先何十年たってもアンダーグラウンドなんだろうと思っています。
海外とはその文化や歴史が違いすぎて、ここ日本では刺青一つとってみても考えを深め自分を納得させる理由が必要ですが、己の美学の追求の結果や人生の転機となる出来事と同じように、自分の歴史と共に刻み、誇り、歩んでいける刺青であるならば長く付き合っていけるのではないでしょうか。