先日、10代の青年とディスカッションさせていただく機会を得た。
友好をより深め、今後おもしろい活動を共有できそうで、期待とイメージが膨らみます。
五行説という古代中国の自然哲学の思想には、青春、朱夏、白秋、玄冬と、それぞれに「青」「赤」「白」「黒」と、季節に色が配当されていて、四季の変化をわかりやすく伝えてるのと同時に、中国文化をバックボーンに持つ日本文化ゆえ、現代もなじみのある言葉ばかり。
朱夏、白秋、玄冬は季語として使われるが「青春」は時代を指すことが多い日本。
10代の彼はまさに青春ど真ん中といった印象で、直線的で、とがった感受性がまぶしく、僕には染まることへの反発と社会に対する嫌悪、極端な正義感と映ったが、それは大人がどこかに隠し忘れた青い果実のようにも思えた。
酷暑の続いたこの朱夏は日中平和友好条約からちょうど35周年。
しかし日本と中国の関係は戦後最悪の冷夏そのもので、毎年行われていた記念行事も今年は両国ともに開催されなかった。
文化的背景や社会的体制が大きく関係しているのは事実で、双方の国民の多くは偏った認識の刃を向け合っている。心に玄冬を長く、暗く、抱き続けているのだろう。
その渦中にあっても中国の友人は、日本や日本人に対し理解を寄せてくれていて、自国に対しても誇りを持っている。
対話を重ねる度に、21世紀にもなって日本の約25倍の国から入る情報は、足の小指のアカほどしか日本に入ってきてないのだと再認識し、リアルタイムではないにしてもイメージを更新し続けることができている。
それはきっと嫌なことから目をそらし諦めているというより、彼女の視座や思考で現実と向き合っているから、こちら側の変革が促されるのだと実感する。
しかし、彼女が生活上肩身が狭くなってきているのも事実で、それは中国へ渡っている日本人にも言えることで、ネットやメディアのグレーソースの偏向情報の恐ろしさを感じずにはいられない。
結局信頼関係といっても一人対一人の対話の継続の上に成立するもので、それは国家間では外交となり、人間間では友好となるが、あいさつ。礼儀。心を込めた振る舞い。「一人」と向き合う誠実さが厚い友情の礎となることには、時空を超えてなんら差異はない。
青さゆえの先入観のなさが、幅広い友好を深めるし、時に青さゆえに染まり偏った先入観をくつがえす素晴らしい出会いもある。
どちらにしても未成熟とは言いかえれば可能性の塊でしかなくて、次世代をになう若年層には、多国間交流の中で芽生える架け橋たりえる真の友情をどんどん築いて欲しいと願うばかり。
残暑はまだまだ残りますが、暦の上ではもうすぐ実りの白秋。収穫の季節。
10代の若き俊英が、その手と心に持ち合わせていた青い果実を大人たちは今一度、青いままで収穫しなおす時が来たのかもしれない。
と、日々確信を増すばかり。